体調悪いと貧困まっしぐらなんて嫌じゃね?
・現在の制度の中では詰むしかないなら制度を変えるしかないじゃん→どうやって?どのように?→当事者主体で、支援者も巻き込んで、みんなで考える、話し合う
・私(名前氏)の障害と症状
双極性障害一型で、常に眠くて疲れており、特に秋冬は5、6ヶ月くらい頭がぼんやりして動けなくなる。
躁転して攻撃的になったことが過去に2回あったので薬を必ず飲んでいる。薬を飲んでいて躁転したことはない。でも薬は太るので困っている。
・去年は障害者雇用のパートで、週4日6時間(8.5万の給与)事務方で働いていたが秋になり休職。
2月に復帰して週3日3時間(給与は3.2万)軽作業と会社のブログ更新と事務補助の仕事に従事することになる。
時給は990円。年金は七万。
よって現在の収入は月10万くらい。
・統合失調症のパートナーがいて、障害者雇用で働いている。非正規のフルタイムで月手取り16万くらいの収入。年金は払っていなかったのでもらえてない(酷い)。
・
・2人分足しても額面が30万。
日本人一人当たりの年収の中央値は366万(月に割ると30.5万)、その額に届かない。
つまりめちゃ低所得、めちゃ貧困。(最初手取りで計算したため額が間違っていたため、訂正しました。拡散してくださった方すみません。)
つまりめちゃ低所得、めちゃ貧困。
・障害とか持病があって親元離れたいし金のあるパートナーに頼るとかもないし、という人は貧困に陥るしかないの?それって制度設計ミスじゃん。
障害者雇用だから給料は低いことになってるその理由がわかんないし理由が分かっても受け入れる気はない。
年金でも給料に税金で上乗せでもいいから、貧困からどうにかして脱出したいんですが。自助努力はもうしてるからその話はなし。
今考えていること(障害者雇用もう無理かも)
・発病してから例年秋から冬にかけて、過眠と鬱で活動ができなくなっている。
春夏は動けるがやはり鬱気味で疲れやすい。
コーヒーと頓服を組み合わせて体調が悪くても無理やり動くという自己対処でずっとやってきたが、それは体に悪いし、季節性の鬱があるのに通年で募集している会社に応募したのは無謀だった 。
・今の会社の時給で働き続けても絶対に貧困から抜け出せない。
事務から軽作業に仕事内容が変更になったので、スキルも身につかない。
稼ごうとして時間を伸ばしても体調が崩れるし、稼ぎ方として効率が悪い。同居人も非正規の障害者雇用なので、ルームシェアしていても私の給与が少なくて困っている。
・以前2年間一般雇用の派遣でフルタイムのクレジットカードの勧誘をしていたので、その仕事に戻りたい気持ちがある。
近くで探すと7時間勤務で時給1600円くらい。
クレカに限らず、派遣の仕事にスポットで入ることができれば春夏の動ける時期にお金を貯めて秋冬は休める。
体調が復活すれば一般雇用の短期派遣は選択肢に入れて良いのでは…。
どうせ軽作業するなら時給がいい方がいい。
・障害者雇用のメリットがわからなくなってきた
配慮を受けたところで、服薬や自己対処をしたところで、病気なのは変わらないし、体調は悪い。
・社長が飲み会で女性社員にすぐセクハラするのを何度も見て心が折れた。こんなの良くあることでこれくらいで折れてたら他の会社でも働けないと思って耐えてたらいつの間にか折れた。
他の上司が同性愛者が嫌いだと言ったり、また他の上司が特定の国を挙げて外国人の社員に来て欲しくないと言ったりするのも見た。
人の住まいを預かる不動産屋なのに人権意識皆無でドン引きしている。障害があるので自分もいつ不愉快な目に遭うかわからないと思ってしまう。
1月11日の日記 部屋汚すぎ、戦う精神障害者になりたい
1月11日(木)
散らかしたのが自分とはいえ、部屋があまりに汚すぎて落ち着くことができず、かと言って片付ける元気もなく、喉が渇いたので飲み物を飲もうにもグラスやコップも汚れてるのばっかりで、なんというか終わっていた。
というわけで部屋から喫茶店へチャリで避難し、モーニング(14時までやっている)注文、アイスコーヒーうめー、脳がバキバキっと覚醒してゆく〜などと感動していた。
480円でなみなみコーヒー、ゆで卵、サラダ、パンがセットなのは愛知県のすごいところ。
今日はゆで卵とコーヒーって合わなそうで合うのだなと何回も来て同じセット頼んでるのに新たに発見した。
休職している会社の上司からいつ出て来られるか電話で聞かれて、面談の日程が決まった。
いよいよ復職である。
事務は辛いから最初は単純作業からということに決まって良かった。以前事務と兼ねてその仕事をしていた時は、楽だし音楽聴けるのはいいけど技術も経験も身につかないし、最低時給だし、正直お先真っ暗だと思っていた。
でも今はその仕事が体調に合っていて、やれる仕事なのだから、金のためだし割り切って働こうと思う。えらい。
一生躁鬱治らないわけでもないし、いつかは別の仕事もできると思って長い目で見る。
焦ると体調悪くなるし、今だってジムは入るわ読書会の主催者はやるわで十分焦っている。もうこれ以上焦るな。
そういえば、最近立岩真也さんのホームページや本をガシガシ読んでいて、障害者の歴史や政治とちゃんと自分を接続させて、どう言う経緯で私が障害者としてここにこうあってこの先どうしていけばいいのか知りたいとからだと思う。
運動体作った人や書き物をした人のことも知りたい。
立岩真也氏のサイトで全国「精神病」者集団という精神疾患?精神障害者?どう呼べばいいかわからず、の人々の運動体があることを知った。サイトに定期刊行物があると書いてあるので、まだ発行しているかわからないが明日電話で問い合わせてみようと思った。
そのメンバーである大野萌子さんという方の「保護室占拠No.1」という文章を読んだ。http://www.arsvi.com/2000/0610om.htm
強烈に苦しんで怒っていることを表明している。
それに対して、自助会とか集まりに何箇所も行ったけど、政治性と怒りは現在どこの会でもタブー視されていると言っていいんでは?と思ってしまった。いろんな会があっていいけど、ほんとは政治と怒りは避けては通れないよなぁ。
1月10日(水)の日記 就労許可降りたよ!病まない生活を目指したい話
1月10日(水)
朝に支援者の人が家に来て、ヘルパーさんに来てもらう日程の話とB型就労のことについて話した。
B型は時給200円とか日給900円とかそういうレベルで、そんなら責任負わなくていい無賃でいいわ。障害者を舐めるなと言いたい…。
去年の年末共産党の障害者政策を読んでいたら、障害者の福祉的就労も最低賃金にしようと書いてあった。本当になんでそうなってないの?
で、昼はラーメン屋行った後精神科行って、まだ働くのは早いけど休職期間終わってクビになるくらいならダメ元で戻ってみた方がいいかな、みたいなことを言われた。
その後薬局行って、ATMで年金おろして、スーパーで砂糖と酢と歯磨き粉を買って帰ってきてから無くなってたハンドソープを補充してたら疲労の限界が来た。でもまた支援者から連絡きたから応対し、就ポツにも連絡して、もう今日はなんもしねえぞ、つうかできない…の状態。
やっぱ鬱抜けてないな…すぐ疲れる。ムレスナの紅茶を飲んで元気出そうとしたけど、無理でした。おいしいけど。
本当はあと3%しかないスマホの充電をしたり(しろよって感じだが充電器が座ってるところから遠いところにある)、皿洗ったり、スーパーにペットボトル捨てに行ったり、図書館に本返却しに行ったりと思ったけど、疲れやすすぎて無理。
無職は意外とやることがあって辛くないようで辛いし、なのに金はもらえないし、やることなくて鬱々するだけの日も辛い。無職を羨ましがってる人間で本当に会社辞めて無職になる奴がいないのはそういうことだな。
とはいえ私は会社行ってても人間関係やら仕事できないやらでどうせ病むんだよな。
私がこの先健やかな気持ちで生きていけることなんてあるんだろうか。幼稚園の時点で毎日同じところに通うのが辛かった。で、無職も向いてない。
どこにいても家にいても学校いても入院して病院いても会社にいても辛かった。あ、でも一つ辛くなかった時期があった。
大学3留だか4留だかして(多すぎて思い出せない)人間関係がゼロになって気楽だった大学の学部時代だけは全然辛くなかった。
友達ゼロだから過去問とかないし勉強はしまくらないといけなくて、でも勉強楽しくて、適度に通うところがあって、図書館も使い放題で、近所にラーメン二郎もあったし、インスパイア二郎もあったし、タピオカ屋もあったし(食ってばっか)。
あの状態に近いものを目指せば病まないのではないか。楽しく勉強を続けられて、なんとなく通うところがあって、かといって大学院生みたいに成果を求められないフラフラ感。
今考えてるのは放送大学かカルチャーセンターなんだけど、年金しかないと使える金が月四万しかなくて(3万は家計に入れる)ちょっときつい。
やりたいことはあって、でも躁鬱と貧乏のダブル攻撃によって色々なことができなくなっていてもどかしい。
ていうか、躁鬱はともかく躁鬱に伴う貧乏で文化的な暮らしができなくなってるのは国が悪い。年金と手当で月に70000円は安すぎて泣く。
でも最近やっと本が読めるようになってきたので、これで世界がちょっと広がるって感じ。
・読んだ本
立岩真也『人間の条件 そんなものない』を積読山から発掘し読んでいた。
中学生以上向けのよりみちパンセというシリーズから出ている本だが、私的所有論の引用が解説なしで掲載されていたり、ベーシックインカムやら能力主義やらお金の分配のことやら障害学やら内容が多岐に渡っていたりして、読みごたえがかなりあって面白かった。
自分が雇われていても、できることが多いとされる健常者が障害者の2倍3倍の金銭をもらえるのは果たして正しい仕組みか?みたいな問いを持つことがあるので、それをちゃんと考えてくれてるのがよかった。
1月9日の日記 ウォーキングをしたりジムに入ったり
1月9日(月)
心身のだるくて鬱陶しい感じが消えず、悪夢は見るわ、ネットを見ててもどんよりするわで、いい加減にしてほしい。
こんなどんより気分、どんより体調では、とてもじゃないけど何かをしようと思えない。
ただ今日が以前と違ったのは、暇だから外でも歩いてくるか、となって3.40分くらいウォーキングをしてきたこと。前はもっとだるすぎて完全にそんなことは無理だったなぁ。
少しずつ良くなってきていて、そのことは喜んだほうがいい。ただ正直なところやりたいこととできることの大きな差を思って少しの進歩を喜べないところがある。
健康な人は私が鬱だけどちょっと外歩けた!とか言ってる間に勉強して、働いて、読書して、書き物して、子育てして、車買って、家買って、人生っぽいことをいっぱいやっている…などと余計なことを考えて自分と架空のスーパー健常者を比較して勝手に落ち込んだりしている。
大森靖子だって「人生なんてマンションなんて買えなくたって深い」って歌ってたじゃん、と自分を慰めてみるものの、なんか私の人生は病気とエネルギーの欠如のせいで十全なものじゃないと言う感覚が抜けない。そんな強迫観念は早く抜けろ!つうか抜け!
エネルギーが足りないことに恨みを抱いている。少し日記でも書こうものならくたびれる。疲れやすい。皿洗い二人分で疲れる。冷蔵庫にマスタードしまうだけでばてる。
そんな疲れやす過ぎ人間であるこの私がなんとジムに入会した。全然続く気がしないが、安いからまあいいや。続いたらラッキー。
ちなみにジムは家から近くてラッキーなのだが上の階はタピオカとバインミーの店であり隣の建物はなんと私の勤めてる会社である。微妙〜。
だって絶対あいつあんま仕事してないのに筋トレはできんのかよとか勤務先で思われるし(自意識過剰)筋トレした後タピオカ飲んじゃうじゃん。
筋トレした後のタピオカ美味かろうね。今日もウォーキングをしたとか言ってるけどおやつにアイス食べてるし、無意味というか焼け石に水というか、先が思いやられる。
でも、酒もタバコもネトゲもしないのに仕事もしてないという状況、食うこと以外楽しみとかイベントとかないから、やむを得ん。今はどうしても食べ物に支えられないと生き延びられないと感じる。薬も太るやつだし。痩せたいけど食うけど運動するけど食う、みたいな感じで、食ってる間はジム行っても無駄かもしれない。でも一応やってみる。
1月8日の日記(年末年始と100分でフェミニズムの話)
1月8日(日)
辛い。しんどい。年末年始に実家に帰って、実家近辺を歩いたことで、今回の滞在で特に嫌なことがあったわけでなくとも、嫌な記憶がたくさん詰まった土地なので、いるだけで余計なことをつい思い浮かべてしまい、帰ってきてからもどんよりした気分が続いている。
中学のことを思い出したり、中学や高校の数少ない友人とやりとりをしたり、家の近くの公園を歩いたり、本当にやってることはどうってことないのに、ネガティブな内容で頭が忙しかった。
頓服をたくさん飲んで過ごした。
実家の私の部屋を漁ったら出てきた少年アヤ著『焦心日記』を読んで正月を過ごせたのは幸運だった。
母に重大な病気が見つかり、それがあるせいで父とは停戦してるけどわだかまりがあるという状況下にあって、平静さを装っていたが、心が静かに暴れていたのを誰にも言えずじまいで、アヤさんだけが家族や土地にまつわる心の暴れる感じを肯定してくれている気がした。
正月にやっていた100分de名著のフェミニズム特集、一応見たのだけれど、桜庭一樹への書評の問題がある鴻巣友季子を起用してはだめなのでは、とか、バービーが学者と対等に話をさせてもらえてなかったんでは…というのとか、上間陽子のセックスワーカーへの語り口って、「セックスワークを肯定してやってると思ってる人でも何年も追跡するとまた違う語りをすることがある」一見穏当なようで、セックスワークに偏見がないかとか、みんな多分インテリのシス女性だよな、とかツッコミどころは満載だった。
ネットでも無限につっこまれてるよね…こういうときネットのいろんな意見役に立つのではないかと思ったりする。
伊藤野枝のこととかおさらいできたのはよかったんだけどね。一回でフェミニズムの基礎を全部やるのは無理だと思うから、一ヶ月半に一回くらい100分でフェミニズムはやったほうがいいぞNHK。
そういえば、この番組でも特集されていたし、私も去年途中まで読んだジュディスハーマンの『心的外傷と回復』の話。自分は安全であると思える場所や心理状態に戻れて、人と繋がってる感覚を持ちうる世界に戻れることを目指すということは間違っていないと思う。
ただ、性暴力被害者が性暴力に遭った社会と、再び精神や生活を再建して戻っていく社会って同じ場所だし同じ文化、ということは、ちっとも安全ではないし、また同じように傷つけられてしまう可能性もあれば、周囲がそれを知っても無関心だったり二次被害を加えてくる可能性もある。
いじめにせよ性被害にせよハラスメントにせよ、被害を受けても戻れる場所が被害を受けた場所とそう変わらない場所だから、安全な場所、安全な社会を作ってくしかないと思いつつ、あらゆるところでやばい人間やハラスメントを見過ぎて、人間社会に期待できなくなりつつある。
いうて私ももう29だから、絶望した!とか言ってないでなんかプラスになることやる義務があるのかなと思ったり。