寝る前に眠剤を飲んだのに、四時間しか眠れなかった。元気すぎて危ない。絶対二度寝しよ。
普段は日常生活について割と楽しく書いており、政治への不満も障害を持つことで受ける不利益について書くのも、楽しいのとはまた違うけど書かないより書いておけばスカッとするし、何に自分が怒っているか整理される。
いちいち苦しみを表明して怒っていいのかと、自分の文章を読んでくれている他の人に思ってもらえたらそんないいことはないとも思っている。
それらの普通に書けることと別に、書くのは難しくて辛いけど残しておきたい記憶や出来事の一群がある。
有体に言うと学校での教員と生徒からのいじめの経験と、それが原因で不登校になったことで親から繰り返し身体的な暴力や暴言を受けたことについて、その後の後遺症や中高不登校からの大学進学について、他人が読んですごく落ち込まないような淡々としたテンションで(漫画じゃないから難しいかもしれないけど、吾妻ひでおの失踪日記が理想)記録を残しておきたいと強く思っている。
辛かった経験の存在をわかって欲しいというのもあるにはあるが、この国はとっくにぶっ壊れているということを学校という角度からうまく書けたら、ようやく学生時代の自分が成仏しそうなんだよね…。
一人で喪の作業をやるのは困難だから、カウンセラーに助けて欲しいけど、トラウマについて書くんじゃなくて楽しいことについて書けと言われており、精神衛生状態を良好にしておくにはそれがいいのだろうとは私も思っている。
せっかく親とも離れて昔のことは記憶の箱にしまって生きているのにまたその箱を開けるとなると、激鬱まったなし。
少しずつ書いては中断して、とやっていくのがいいんだろうか。
いじめのはなし めも
・いじめに遭い始めたことよりも、すごく親しいとまでは行かなかったが、これまで私のことを親しみを込めたあだ名で呼んで、雑談などをしていた生徒たちが、私と関わり合いになるのを避け始めたのが辛かった。
あだ名呼びからさん付けへの移行が速やかに行われ、かれらが話しかけてくることはなくなった。いわゆる傍観というやつである。
かれらは見て見ぬふりをしないと次の被害者は自分だと思ったのかも知れないが、私にはいじめられていた当時から現在まで、いじめやハラスメントを傍観する人の気持ちが実はよくわからない。
集団が、自分ではなくとも個人をいたぶっているのを見ると、被害者個人に関心がなくても、あるいは嫌いでも、単純に理不尽な暴力が支配するその空間にいるのが耐えられないほど不愉快になる。
また、次は自分がやられるかも、などと怯えながら生活することで、ものすごく消耗する。よって、いじめを見たら第三者の介入を求めて教師やらハロワの労働相談やらになんとかしろと言いにいくようにしてきた。
まあ適当にあしらわれて帰ってくるのがオチだが。
いじめがある空間に居たくない気持ち、誰かがいじめに遭っているのを見たくない気持ちは「発達障害者特有の無駄に強すぎる正義感」とかなんとか矮小化されがち、自分でもしてしまいがちだが(筆者は30歳くらいからADHD疑いで服薬中)果たしてそれだけなのか?
少数意見かも知れないが、自分が幸せならそれで幸せとか言っていられることは不幸だと思う。
・保健室登校をしたいと思い、保健室まで教室ではいじめられていて安全ではないし、勉強できる環境ではないから、ここに通わせてほしいと直談判に行ったことがある。
できないと決まっているからできないと言われ、それだけならまだしも「勇気を持って教室に行き続ければある日突然いじめは止むこともあるよ!」「行くことが大事!」と明るく励まされて、自分の置かれた状況の陰惨さと教員の言葉の能天気さ、無責任さのあまりのギャップにショックを受けた。ネガティブな楽観主義。
保健室を出たあと歩く気力を無くし廊下にしゃがみ込んで泣いた。
・いじめに遭っていたことを他人に言いたくない。
中学の頃、「名前氏はいじめから逃れるためにこの地域に引っ越してきた」とデマを流されるといういじめに遭ったことがある。それは、こいつはいじめられるようなやつだというキャンペーンとして機能した。
なぜそれがいじめとして機能するかというと、いじめ被害者であることにはスティグマが付与されるからである。
被害体験を打ち明けて、自分の性格や外見といじめ被害経験を結びつけて、「いかにも被害に遭いそうな特徴をしている」とか、「やられてもこいつなら仕方がない」とか思われるのが怖い。
被害妄想ではなく、いじめ被害者につきまとう負のイメージがある以上、二次被害にも遭いやすいと感じる。
・昔のことを蒸し返すな、なども言われてしんどい言葉の一つである。人間は自分の過去の歴史という土台を持ってそこにいるのに、もっと未来の話をしようなどと言われるのは現実を無視することに他ならない。
いじめのはなし メモ2
・その水に馴染めない魚だけがその水について考え続ける、これは頭木弘樹氏の言葉、その通り、私は17年ずっと中学についてぐるぐる考え続けている
・中学生が髪を染めてはいけない理由がわからない。髪にワックスをつけてはいけない理由もわからない。スカートを短くしてはいけない理由もわからない。何も知らされはしない。考えてはいけない。外があると思ってはいけない。校則を破るなと教師が言うから、従う。以上。
でも校則を破りすぎない程度に適度に破っていないと真面目すぎるという理由でいじめの標的になったりする。
教師が言うとおりに校則を守っていじめられても間違いなく教師は助けに来ない。また、地味なやつがスカートを短くすることでもいじめの標的になったりする。
矛盾するルールとルールの中でうまく自分はこれくらいのポジションにいると把握して吊し上げられないような整容と着こなしをした者だけが生き延びるルール。
でも別のルールに引っ掛かったら結局吊し上げられるかもしれない。いじめで精神を壊されて不登校行きかもしれない。
加害者が不登校の生徒と鬱の教員を自分が何人作ったかで競っていることを知って、これは遊びなんだなとはっきりわかったということがあった。
でも、被害者は心理検査を受けさせられクソの役にも立たない守秘義務違反のカウンセリングを強制的に受けさせられた挙句、自分の何が悪かったか、なぜ自分は集団に馴染めないのか考えよと言われる。