名前氏のブログ

日々の記録

2026/10/14(水)日記 風邪でなんもできん

 つまんなくても、需要がなくても、惰性でも、もうなんでもいいから文章を書き続けた方がいいのかもしれないという気がする。
 でも文章を書けるコンディションではない時が多すぎる。とにかく体調がワルイ。メンタルをいわしてる時は金欲っしー!みたいな世俗的すぎる欲望が湧いてきて、それをそのまま書いてしまうので良くない。
 今日は、一応朝起きて電話で風邪なので、とヘルパーさんを断り、ハロワに、応募していた一社から連絡すると言われたのに待たされ続けているので辞退すると連絡を入れて、しょぼーんという気持ちで冷食のうどんをレンチンして卵と醤油をかけて食べて、また寝た。
 体が風邪とバトルしてる間、私の意識は森の奥深くにある道の駅へと飛んで、佃煮などを買おうとしていた。産直とか道の駅が大好きだ!という気持ちが夢にまで現れるとは。
 汗びしょびしょで起きて気持ち悪い…と思ったが体を拭く元気もないので放置(よくない)、冷食のビビンパ丼を食べた。
 怪我をしていたのを保護した黒猫が義理の実家に預けてあって、10月25日に引き取ることが決まっているので、それだけは喜ばしい。
 熱もないし、咳もたまにだし、あまり休んでばかりもどうだろうとは思ったものの、ボランティア先の猫カフェの店主の方にも、風邪を長引かせてしまい、明日もお休みをいただきますと連絡した。うつしたら、ワンオペだからやばいし。
了解!と早く治ってね!的なスタンプをもらい、あの寡黙な方がこんな可愛いスタンプを…と思ったけど私もあの真面目な〇〇がこんなよくわかんないブログを…と思われるくらい外では真面目にやっていますとも。ええ。なんのアピール。
 
 読んだ本 (かろうじて数ページ)
・赤染晶子『初子さん』収録「うつつ、うつら」

笑えるところがあった方が小説としてバランス取れるとか、そういうレベルではなく笑わせにきている。同じ作者の『乙女の密告』とかも異常にギャグセンが高いまま、そのテンションでシリアスに傾れ込むのだったよなと思って、読んだの昔で半分忘れてるから解説ついてることを願ってメルカリで文庫版を買った。

聴いた

川本真琴
『ふとしたことです』
めっちゃいいー…としか言えない。聴け!

夕方、おやつが食べたくなってマスクして日中は半袖で過ごせたけど上にパーカー着てスーパーへ。
 片栗粉とシーチキン、豆乳、冷食などめしっぽいものを買ったあと、プリン、ゼリーなどツルツルしたものを買った。
 どうせ明日も風邪でしょう。ずっと家なら少しは本が読めるといいな。
 夫がナスとシーチキンのパスタを作ってくれながら、上半身のストレッチを手を組んでぐるんぐるんとやっている。私の分まで健康に、100年後も生きてください。

中学3年間のいじめの話

(フラッシュバック注意⚠️いじめ、性暴力、自傷、DV)

はじめに
 これは私が神奈川県相模原市の中学校に2006年から2008年まで通っていたころの体験と、そのことにまつわるそれ以降の出来事を記したものです。
私は1993年生まれで、これを書いたのは19歳頃の大学での期末レポートです。2026年9月に表現の訂正や事実の追記をしました。
中学一年生の頃の水泳部でのいじめ被害、二年生の頃のクラスでのいじめ被害、その後のこと、目撃したり聞いたりした他人のいじめ被害のことが主な内容です。
 1. 中学校について
 誇張ではなく、本当に地獄としか言い様がない異常な場所でした。中学は生徒数が多く、私の時は1学年に40人学級が9組までありました。
 また、いわゆるヤンキーが昔から多い地域から生徒が来るので、粗野で荒くれた学校として知られていました。特に私の代は酷かったと思います。そのためか、教師は校則で生徒をがんじがらめにすることにやっきになっていて、髪の毛をワックスでセットしていった男子が押さえつけられて水道水で頭を洗われているところを目撃したことがありますし、制服の着崩し、女子の透明マニキュア等どうしようもないくらい些細なことにも過剰に厳しかったです。
 生徒が反抗的にならないよう、教師が無理やり抑圧し管理しようとし、ますます殺伐としていく、という悪循環でどんどん全体が破綻していきました。
三年間通う中でいじめ以外にもたくさんの問題が生徒側にも教師側にも起こりました。どのクラスにも常に2、3人学校に来ていない生徒が
いて、いじめは慢性的に起こっていて、授業は妨害され機能していませんでした。
 生徒によりグランドピアノが破壊される事件や、実験用の薬品が盗み出されて撒かれる事件もありました。精神疾患になって休職する、教師自体をやめてしまう、生徒に暴力をふるって処分される(私が所属していた水泳部の顧問、ほか二名)、生徒に対する性犯罪で懲戒免職になる(私の三年生の頃の担任)等、教師の中に精神に異常をきたす人が続出しました。
 書いていても未だに中学にまつわる事柄がなんだったのかよくわからないのですが、とにかくわけのわからないまま人の心身を破壊するような空間に通っていました。
 1. 水泳部
 学校全体がスポーツに力を入れていて、入学してすぐ私が入った水泳部も強豪でした。カリスマ的な顧問がいて、誰もがその人に服従してこびへつらい、おとなしい生徒をよってたかっていじめるような体制でした。
 屋外のプールで活動していたのですが、体育などでは水温と気温を足して50度というのが屋外プールに入って良い基準とされているそうですが、水温が20度あれば死なないという顧問の方針のもと、五月から十一月まで、天候に関わらず、雨でも雷でも冬でも外で泳いでいました。顧問は本来はその場を監督する義務があるはずなのですが、来たり来なかったりでした。
 生理になった人も、熱を出した人も、顧問に怒られることやほかの部員に蔑まれることを恐れ、殆どの場合練習を休みませんでした。私は生理のときにはプールに入らなかったのですが、そうすると強い口調で同級生から先輩だって入っているのに、と責められました。相互監視がとても強く、着替えるスピードなどで競ったりもしていました。余談ですが、大人になって、軍隊を舞台にした小説作品である神聖喜劇を読んでいたとき、この部活を思い出しました。
 部員はそうやって毎日4キロ~8キロ泳ぎ続ける生活をおくるため当然タイムは伸び、ほぼ全員が県大会に出場し、全国大会や関東大会に進出する部員も続出しました。
功績で何もかもチャラにして、顧問の性格の異常さを誰もが問題にしていなかったのですが、実はその顧問は以前自分の言うことに逆らった生徒を誰もいない部屋に連れて行きボコボコに殴ったことがばれ、一年間懲戒になったことがある人物だったのです。
 私がいた頃も、いきなり怒鳴る、物を投げるなどは日常茶飯事でしたが、それでも部を強くしている功績があるし、練習が終わると全員にお菓子を配ったり、店に連れて行っておごりでなんでも食べていいと言ったり、女子の誕生日に花束を贈ったり、アメとムチを使い分けるのが上手かったので、私も含め、部員は彼を厳しいけれど優しいところもある先生だ、くらいに思っていたと思います。
 閉鎖的で外部の目から遮断されている集団の中にいると、あからさまにおかしい人物をまつりあげていても誰もブレーキをかけることができません。
中学生の集団を騙し通しコントロール下に置くことなど、狡い大人である彼にとって赤子の手をひねるようなことでした。
そんな異常な顧問のもとで活動していて、部の全体に歪みが生まれるのは必然です。
 上級生は顧問の手下状態になって溜まったフラストレーションをしごきと称して後輩にぶつけ、下級生は下級生で同学年や弱そうな先輩を徹底的に虐め抜くことでガス抜きをしていました。
 私が「先輩がいじめられているので止めてください。」と顧問に言うと、「あの子は頭が悪いからしかたないんじゃない?」と答えて放置していました。
 私はそういうところだと知らずに入ったので、完全に練習についていけず、また、周りの戦時中とヤンキーと体育会系ノリを混ぜたような空気に完全に適応できず、入って一週間くらいでいじめの標的になりました。
 無視、靴隠し、カバンに草を積められる、怒鳴られる、睨まれる、バイキン扱いされる、あげていくと、子供っぽく見えることばかりですが、過酷な練習を続けつつ、10人もいない女子部員の輪の中で、先輩や同級生がこんなだとあっという間に情緒も体もおかしくなります。また、男子からは暴力系のいじめを受け、蹴られる、殴られる、尖ったものを刺され腕から出血させられる(まだ跡があります)、Tシャツの上からプールの水をぶっかけられて下着を透けさせられたりしました。
 無邪気なようでいて性的なものと暴力性が入り混じった感情を向けてくる男子は脅威でした。
 今でも身近な男性がすこしでも暴力的なところや支配的なところを見せると物凄くいやな気持になります。ある時は、人がいない狭いところで押し倒され体を触られそうになりました。中学一年生だから、男女の体格差がそれほどなかったことが幸いし、なんとか無理やり暴れて逃げましたが、あれは今思うとレイプ未遂だと思います。
 悲惨な目に遭った結果、対人恐怖で人と喋ることが困難になり、体力も限界で、二ヶ月くらいで顧問に退部届けを出しました。
 しかし、顧問に個室に呼び出され、退部の理由を問われ、いじめと練習で限界と答えたところ、まったくまともに受け取ってもらえず、「いじめがあるというのはお前の間違いだろう」とか、「友達ごっこのために部活があるのではないのだから、仲が良い人がいなくたって練習を続けることだけ考えて耐えろ」とか、そういうふうにつっぱねられました。顧問から強い口調でそういうふうに言われると、恐怖で疑問を感じるまでもなくそれを信じ込んでしまい、私は自分が悪いのだと信じ込み、部に残りました。
 マインドコントロールされている状態にどんどん近づいていき、顧問が理不尽なことを行ったとしてもすくみあがってしまい、顧問を前にすると冷静な判断力が失われてしまうのです。
 それでもその後も何回か限界だと思う時が来て、いちいち退部届けを出したのですが、顧問の独断で結局一度も受理されませんでした。
その後、練習を続けていくうちタイムが伸び、リレーのメンバーに入ったことから部内でのヒエラルキーが上がり、私への酷かったいじめはパタッと止んでしまいました。一年生の終わり頃です。あまりにあっけなくてさすがに気味が悪かったです。
 今まで自分をいたぶってきた人が、今までのことは何もかもなかったことにして擦り寄って来て友達ヅラをし始める感覚がさっぱりわからないので私の人間不信は悪化しました。
 しかも、誰かをいじめる側のメンバーに私も入れられそうになりました。スケープゴートが私ではなくなっただけで、いじめはなくならず、標的が短いスパンで移り変わって、常に誰かを血祭りにあげていないといけないというふうになっていきました。
 私をいじめていたメンバーの中から新たにだれかがいじめられるようになり、またいじめの対象が移り変わり、そうするといじめられた人もまたいじめる輪に復帰し、というような、信頼関係は一切無いのにべたべたしていてトイレまで一緒に行くような、しかし次の瞬間誰がやられるかわからない。殺伐としていて、完全に無意味な人間関係です。
 一緒に○○の靴に画鋲をいれに行こうとニコニコしながら楽しげに誘われて、その場のノリにあらがえず一緒について行って、加担もしないが、こういうのは好きじゃないとは言ったものの、ただその場につっ立って一部始終を止めずに見ていたこともありますし、あいつむかつくからカバンの中にジュ-ス注ごう、とその場のみんなが盛り上がっているところも見て見ぬふりをしてほったらかしにしていたこともあります。
無力感と虚無感で、だんだんあらゆる感情がわかなくなることが多くなり、とにかく精神的に疲れていきました。
 結局同学年は比較的人格的にまともだった一人が話ができない状態まで追い込まれ不登校になり、一人が故障といじめによって退部、いじめることといじめられることを延々と繰り返していた、とりわけ人格が破綻しているように思えた人も情緒不安定になり退部、みんなその後どうなったかは知りませんが、思春期前期をこうも酷い過ごし方をして穏やかに今頃暮らせているのか、みんなどんな大人になったのかと考えると恐ろしいです。
 幸い、二年生からは大人しいタイプの男子や途中から入部した女子と、なんとなくゆるい連帯が築けたので殺伐とした人間関係の輪からは外れることができたし、顧問も途中で移動になり、顧問がいなくなると軍隊っぽさは解体されていったので、後半は淡々と練習する穏やかな生活を送りました。それでもなおいじめられていた頃の記憶ははっきり残っているし、今でも回復してきているとはいえこの経験がきっかけとなって生きていく上での基本的な人への信頼感がゆらいでしまったと思っています。
ちなみに顧問は別の学校に移ったあともそこの弱小水泳部を強豪に育て上げ、中体連の水泳大会などでも役員をしていました。
 
 1. 二年生のクラス
一年生の頃に、部活内で酷いいじめに遭ったので、二年生になりクラスで新たな人間関係を築く能力や気力が奪われていました。
なんとか地味で大人しいグループに潜り込みましたが、私が全然人と話せなくなっていたことでぎくしゃくし、すぐに一人で行動するしかなくなり、参考書と本を眺めて時間をつぶしていました。
 派手なグループが地味なグループを徹底的に見下すようなヒエラルキーががっちりあるクラスだったために、地味系の人がすこしでも目立つようなことをすると一斉にバッシングされるような空気がありました。私は単独行動ということで揶揄されたりしましたが、一学期の時点ではぎりぎりいろいろなグループの人と細々とコミュニュケーションをとるなどはしていて、いじめの対象にはなりませんでした。
 ただ、一学期の時点で多くのグループで人間関係のいざこざが相次ぎ、いじめもおこり、三人の生徒が学校に来なくなっていました。
 また、男子の間で行われた悪質ないじめですが、いじめられっこを押さえつけて好きな女の子の家に電話をかけさせて、オナニーさせながら告白させるというものがありました。
 そういうことをやったといじめの主犯格が休み時間の教室の中でゲラゲラ笑いながら大声で話していたのを聞きました。誰にでも聞こえていたはずなんだけれど、教室が静まり返るということもなく、何事もなかったかのように聞き流されました。その被害者は、いつもサンドバッグにされたり、いじめられたりしながらもヘラヘラしながらいじめるグループの後ろの方にくっついている人でした。もう抵抗する気が無くなっているのか、なんなのかわからないまま、心が壊されていたのかわからないけれど、見ているだけで惨めで痛々しかったし、不気味でした。
 クラスは限度を超えた悪ノリで毎日が馬鹿騒ぎで、授業も妨害され、どの教科もまともに学校で教わった記憶がありません。勉強ができる生徒は早くから塾に行き学校ではさぼるし、不良ははなから勉強しに来てはいないので、誰も聞いていない授業をやる教師はどんどん荒んでいき、精神疾患になった人は数人いたし、生徒を殴って処分された人もいました。
 二学期に入って、私はクラスの輪を乱したということでいじめの対象になりました。
バスケ部の部長をしていた派手な女子と同じ委員会を希望して、向こうが多数決で委員会に入ることが一度は決まったのですが、担任が気まぐれを起こし、バスケ部の子の方より私のほうが成績がいいからその委員会は私にやらせる、とアンフェアなことをクラスの全員に言ったのです。余計なことをするなと担任の教師のところに言いに行き、このクラスの状況を考えると、多数決をとるわけでもなく役職を決めたらみんな私のことをバッシングし始めるだろうから、そんな贔屓みたいなのはやめてくれと訴えました。しかしその鈍い教師はよく意味がわかっておらず、きょとんとしていました。
 私は地味で浮いてる奴なのに、教師に贔屓されながらバスケ部部長に歯向かった、ということになっていて、その出来事があった次の日から、派手系の女子が私の机の周りにいろいろなクラスから休み時間ごとに集結し、黒板消しではたく、髪の毛を引っ張るなどマンガっぽくもあるベタないじめを始めました。もちろん嫌だったけれど、そっちよりもむしろ、私の巻き添えを食って目立つグループに目をつけられるのを嫌がって、普通に話していた人にまで避けられたのが辛かったです。
今まで仲良くしていた少数の女子からもさん付けで呼ばれて距離をとられ、しまいに無視、遠巻きに悪口を言われる、男子からは、隣の席になるだけで舌打ちされるなど、陰湿ないじめといやがらせの境の、悪意による攻撃を受けました。
 話したこともない人からいじめられてみるとわかるのですが、嫌われてもいないし関心も持たれていないし、ただただいじめは娯楽でターゲットはおもちゃです。だから、自分のアラさがしをしてなんとか受け入れてもらおうと思うとどんどん沼にはまっていく仕組みです。渦中にいるとそれが分からなくなるので厄介なのですが。
 コミュニュケーション操作型というか、地味なことの積み重ねで心をじわじわ折るタイプのいじめに対してなすすべはないし、一年生の頃からずっと人間不信と対人恐怖は続いていたので、ついに体を壊すようになり、頭痛や腹痛で学校に行けない日が多くなりました。
3親との関係
  親には、水泳部の時もクラスの時も、いじめられたらすぐに自分の状況を説明してSOSを出していました。会話することも多いし、親は自分のことを理解してくれるはずだと信じ込んでいました。ただ、今思うとそれはまったくの思い違いで、うちの親は、学校は必ず行かなくてはいけないところだ、と固く信じていて、なぜ学校に行かないといけないかなどは重要ではなく、とにかく子供が学校に行かない場合は殴ってでも泣いてでも通わせるという考えの持ち主だとだんだんわかって信用できなくなりました。
「私は勉強が得意だけど、それは自習しているからであって、学校で勉強しているからではない。中学では授業が行われていない、行く必要がない
いじめられに通っているようなものだから今年は学校に行きたくない」
というそれだけのことが何回説明しても全然通じなかったのです。
 私が学校でいじめられていることよりも、学校に行かない事の方が親にとっては問題でした。父はことなかれ主義で、学校に行けと言うだけでしたが、
母がものすごく嫌味を言ってくるようになりました。 
 追い詰められて、塾に行く車の中で死にたいとつぶやいたら勝手に死ねと言われ、車から飛び出して線路の前で死ねなくてずっと立っていたことがあります。警察やら塾の講師やらがずいぶん私のことを探したようで、結局駅のホームで見つかってしまい、自宅に帰りました。親に怒られ、「私の考えていることは、工夫して言葉にしても、失踪して行動で示しても、体調を崩して体で表現しても、誰からも関心を持たれることはなく、まともに受け入れられることはない。」と心の中ではっきり言葉にして絶望したのを覚えています。
 後日塾で、「反抗期はいいけど親に迷惑をかけるな。」と見当はずれの説教をされ、家庭やいじめにあっていること、なぜ不登校なのか詳細に問いただされました。とても理不尽だと感じました。
 親の精神状態についてですが、もともとうちの母は理屈で物事を考えるタイプではなく、私が落伍しそうだという危機感からかますます感情的になり、しまいには私がストレスで体調を崩して学校を休んでいることを知っているにも関わらず、泣きながら殴ったり蹴ったりしてくるようになりました。ある日学校に行くまでは絶対に殴り続ける、と言いながら延々と殴られたことがあって、そのときは本当に死にたくなりながら学校に行きました。
 遅刻して教室に入ると、なんで来んだよとひそひそ話す声があちらこちらから聞こえ、絶対泣かないと決めていたのですが限界で、その場で泣いてしまい、結局次の時間に家に帰ったのでした。家にも学校にも敵しかいないということについに耐えられなくなり、次の日からは、母が殴ってきたらもっと強い力で殴り返すようになりました。暴言も吐いたし、家具も家電も家の壁やドアも殴る蹴るなどで破壊して、跡が残ると将来にひびくと考え、リストカット以外にしようと体をあちこちにぶつけるという方法で自傷するようにもなり、あとは放心状態で過ごしていました。
さすがに親もまずいと気づいたのか、かなり嫌そうではあったものの二年生の間だけだと念を押し、不登校を許可されました・
今でも、母は、私が不登校になったときどれだけ辛かったかという愚痴をこぼしたり、笑いながらあの頃の私はグレていて本当に手をやかされたなどと言い出したりするので何もわかってはいないのだなーと思います。
家族とは話もするし、険悪ではないけれど、何か問題が起こっても頼りにしたりはできないし、心の奥底ではまったく信用していません。
 いまでもふとした瞬間に当時を思い出し、両親のことを殺してやろうかなと思ったりするので、神奈川の実家から遠い愛知に引っ越せたのは幸いです。
 1. 不登校
 どのクラスも似たりよったりの殺伐とした状況にあったため、学年中の不登校生徒はかなり多く、それだけでひとクラス作れそうなほどでした。
 でも対策はほとんどとられておらず、一度担任の教師に別室登校について尋ねたところ、一人だけ特別扱いできるはずはないし、学校に来られるなら教室で授業を受けなさいとどうしようもない答えが返ってきただけでした。
 いじめ対策週間というのがもうけられていて年に一回その週だけ、全校であいさつをこころがける、いじめ、だめ絶対と書かれたポスターを廊下に張るなど無意味としか思えない運動がされていました。体育館に全員を集めて、校長が人の命の大切さと、いじめのむごさを説く集会が開かれたりもしましたが、その会の間中ずっとポケットからものを抜かれる、体育館履きに落書きをされるなどまさにいじめられていたけれど、誰もみていませんでした。
 不登校になると、週に一回か二回決められた時間にスクールカウンセラーと話をすることが決められていて、それだけが唯一の不登校生徒への対策?のようなものでした。アリバイ作りと言ったほうが適切だと思いますが。
 ただ、そのカウンセラーはまともに人の話を聞くような人ではなく、私が自分の状況を話すと、運が悪かったんだね、額縁を想像してそこにいやな記憶を封じ込めて、遠ざけるイメージを描いてみて、などと言うだけでした。いまいじめで学校に行けなくなって傷ついていて権利も奪われてるのに、こいつはバカか!と強い怒りがわきました。
 また、信じられないことですが、私が心を開かないようにしてなるべく自分の話をしないようにしていたところ、頼んでもいないのに他のカウンセリングを受けに来た人のことをベラベラ話し出すようになったのです。
 カウンセラーには守秘義務があるからなんでも話せと最初に自分で言っておきながら、きのうは別の学校のリスカしている女の子と面談したけど、全然喋らないで絵だけかいて帰っていったからあれじゃあ友達できないだろうなあと思った、とか、そういうことを面白おかしく話されて唖然としました。また、私が指定された時間にカウンセリング室に行くと、数人の生徒がただ単に暇だからと雑談しに来ていたりして、こいつらいいやつだから、話す間一緒にいてもいいでしょう、と言われたりもしました。いじめに加担していた生徒もいました。たかが中学生相手の仕事だからなめてかかっても大丈夫だろうという態度に傷ついたけれど、文句を言ってもどうしようもないし、カウンセリング室をさぼると担任に連絡が行くので、嫌々通いながらも、そこのいるあいだはヘラヘラして世間話をするなどして誤魔化していました。
 また、教室に行っていない期間も朝練と放課後、部活に参加していたところ、学年主任と担任に呼び出しをくらい、元気なら学校に来い、学校に来ない奴は部活に行くのもダメだ、と説教されました。
 クラスは問題があるから行かないけれど、部活まで出てはいけない理由は何か、と尋ねたら、もしクラスの人が見たらまたお前が目立つような変な行動をとったということが原因でいじめられると脅されました。反論すると、そんな性格だからいじめられたのだと言われました。
 教師二人と向い合わせになって暴言を吐かれたことで怯んでしまい、結局部活に行くのは断念して、親の目を気にしながらずっと家で本を読んだり勉強したりして過ごしました。
 1. その後
 中学三年生に上がり不登校から復帰したあと、いじめの標的ではなくなったものの、また似たような荒んだ雰囲気のクラスで、やはり授業はほとんど機能しておらず、担任は良い先生で、それだけが救いだったけれども学校に通うのは辛かったです。
 担任は異動になってその年に新しく入ってきた人で、「いろいろ問題があったとは聞いているけど、俺は俺の目できみという人間を判断するから、心配するな。」と言われました。今思えば問題を起こしたのは私ではないので変なのですが、よっぽど教師の間で問題児として扱われていたのでしょう。
 授業中に文庫本を読んで没収された、くらいしか問題起こしてないけれど、異常空間では異常じゃないとハブられて魔女狩りに遭います。
 その担任は殴らないし怒鳴らないし、生徒が間違った行動をとるときちんと叱るという普通の先生で、そういう人があまりいないところだったので、ようやくまともな担任にあたってよかったと思っていたのですが、学年の途中で精神を病んで休職してしまいました。卒業文集に寄せ書きを頼んだら、〇〇(私の苗字)だけが癒しだったよ!!と書かれて、ドン引きしましたが・・・。
 その後彼に何があったかはわからないけれど、私が卒業して私の弟がその中学に通っている時に学校内外で盗撮を繰り返したことがばれて捕まり懲戒免職になってしまいました。
 荒れた学校にはこりごりだったので、高校は中学からの知り合いがあまりいない、少し遠いところにある進学校に入り、中学を出てからはとくにいじめられることもなくおだやかなところで過ごしました。
ただ、激しくいじめられているときは無感情にどんどん近づいて行ったのですが、そういう打撃から少し時間が経つと、しんどい気持ちが湧き上がってきて、しつこいフラッシュバックに悩まされるようになりました。それから、極端に記憶力が低下し、日々接しているクラスメイトの名前がいつまでたっても覚られないとか、勉強していると体調が悪くなるので成績がものすごく悪くなって、行きたくない大学にしか受かりませんでした。
もうずっと何年も、情緒不安定のまま、だましだまし人と関わっていくという状態がずっと続いています。
 
 
おわりに
 自分の身の回りの環境が閉鎖的かつ暴力に満ちていて、そこから逃げる手段も無い他人とのまともな人間関係やあたたかな交流がほとんど絶たれてしまっている、そういう状況下で少しでも自分の中に正気を保っておくは当然ながらとても難しいのです。
「現在の自分のいる場所はたまたま酷いけど、別に全世界がそうではないのだ。外の世界はあるのだから、今をしのげば別の場所に移動できる。」という当たり前のことがだんだんわからなくなって、心がどうしようもなく疲れて今にもポッキリ折れそうになっているのが中学生のころの私の常でした。
 保身のために誰かのことをいじめる輪に加わった方がいっそ楽なんじゃないのか、ということもやけくそになって考えたりもしたし、
虐げられる原因はすべて自分にあって、何かが欠落しているせいでそれに気づいていないだけなのではないか、と絶望的な思い込みに走ることもありました。
 ただ、一番身近にいる親も学校の先生もカウンセラーもみんな頼りにならない、しかもいじめられているという最悪の状況でも自殺を考えたり絶望し切ったりしなかったのは、私が現実から少し離れて本やインターネット上の文章などを読んでいる時間が長い子供だったことが大きいです。
 生身の人が目の前にいて手を差し伸べてくれることが見込めなくても、文章を介しての外の世界との繋がりがあったことは幸運でした。
 一人だけで自分の状況について思い悩むばかりだとどうしても閉じていって暗くなるし、他の人が書いた多くの文章の助けを借りて、拙くはあっても自分の言葉や考えを得ていくことが自分の身を守ったのではないかと思います。
 高校の頃、大津いじめ自殺事件があって、「被害者にも原因がなかったらそこまで酷いいじめにならない」だとか「私も他人をいじめていたことがあるしどこにでもあるもので、必要悪」という言葉を仲良くしていた友達の口から聞き、とても辛くなったことを覚えています。日常でポロッと露呈される親しい人の本音がそういうものだったので、せっかく異常な中学を脱出して別の環境に来ても周りの人の意識はあまり変わんないのか・・・と酷いショックを受けました。(学力と攻撃性はあまり関係がないとは思うけれど、マナーとしてそういうこと言ってはいけない、くらいの常識は高校生にもなればみんな持っているような気がしていました。)
 中学を出てから症状は強くなったり弱くなったりはするものの、対人恐怖症気味で、人と話せず極端に無口になったり、人間関係に支障をきたすような後遺症も正直あります。 就活中ですが、オフィスでの異様な疲れやすさがあり、前職は時短勤務でも務まりませんでした。
夫と猫と穏やかに暮らし、カウンセリングを受け続けて、少しずつ傷を癒したいです。
また、中学生の頃の自分に恥じないような、理不尽なことは理不尽だと気づくことができ、結果はどうあれ抗議できる大人でありたいです。

2026/08/05 (水)書くのが辛くとも記録に残しておきたい出来事がある

 寝る前に眠剤を飲んだのに、四時間しか眠れなかった。元気すぎて危ない。絶対二度寝しよ。
 普段は日常生活について割と楽しく書いており、政治への不満も障害を持つことで受ける不利益について書くのも、楽しいのとはまた違うけど書かないより書いておけばスカッとするし、何に自分が怒っているか整理される。
 いちいち苦しみを表明して怒っていいのかと、自分の文章を読んでくれている他の人に思ってもらえたらそんないいことはないとも思っている。
 それらの普通に書けることと別に、書くのは難しくて辛いけど残しておきたい記憶や出来事の一群がある。
 有体に言うと学校での教員と生徒からのいじめの経験と、それが原因で不登校になったことで親から繰り返し身体的な暴力や暴言を受けたことについて、その後の後遺症や中高不登校からの大学進学について、他人が読んですごく落ち込まないような淡々としたテンションで(漫画じゃないから難しいかもしれないけど、吾妻ひでおの失踪日記が理想)記録を残しておきたいと強く思っている。
 辛かった経験の存在をわかって欲しいというのもあるにはあるが、この国はとっくにぶっ壊れているということを学校という角度からうまく書けたら、ようやく学生時代の自分が成仏しそうなんだよね…。
 一人で喪の作業をやるのは困難だから、カウンセラーに助けて欲しいけど、トラウマについて書くんじゃなくて楽しいことについて書けと言われており、精神衛生状態を良好にしておくにはそれがいいのだろうとは私も思っている。
 せっかく親とも離れて昔のことは記憶の箱にしまって生きているのにまたその箱を開けるとなると、激鬱まったなし。
 少しずつ書いては中断して、とやっていくのがいいんだろうか。

 

いじめのはなし めも

・いじめに遭い始めたことよりも、すごく親しいとまでは行かなかったが、これまで私のことを親しみを込めたあだ名で呼んで、雑談などをしていた生徒たちが、私と関わり合いになるのを避け始めたのが辛かった。
 あだ名呼びからさん付けへの移行が速やかに行われ、かれらが話しかけてくることはなくなった。いわゆる傍観というやつである。
 かれらは見て見ぬふりをしないと次の被害者は自分だと思ったのかも知れないが、私にはいじめられていた当時から現在まで、いじめやハラスメントを傍観する人の気持ちが実はよくわからない。
 集団が、自分ではなくとも個人をいたぶっているのを見ると、被害者個人に関心がなくても、あるいは嫌いでも、単純に理不尽な暴力が支配するその空間にいるのが耐えられないほど不愉快になる。

 また、次は自分がやられるかも、などと怯えながら生活することで、ものすごく消耗する。よって、いじめを見たら第三者の介入を求めて教師やらハロワの労働相談やらになんとかしろと言いにいくようにしてきた。

 まあ適当にあしらわれて帰ってくるのがオチだが。
いじめがある空間に居たくない気持ち、誰かがいじめに遭っているのを見たくない気持ちは「発達障害者特有の無駄に強すぎる正義感」とかなんとか矮小化されがち、自分でもしてしまいがちだが(筆者は30歳くらいからADHD疑いで服薬中)果たしてそれだけなのか?
 少数意見かも知れないが、自分が幸せならそれで幸せとか言っていられることは不幸だと思う。

・保健室登校をしたいと思い、保健室まで教室ではいじめられていて安全ではないし、勉強できる環境ではないから、ここに通わせてほしいと直談判に行ったことがある。
 できないと決まっているからできないと言われ、それだけならまだしも「勇気を持って教室に行き続ければある日突然いじめは止むこともあるよ!」「行くことが大事!」と明るく励まされて、自分の置かれた状況の陰惨さと教員の言葉の能天気さ、無責任さのあまりのギャップにショックを受けた。ネガティブな楽観主義。
 保健室を出たあと歩く気力を無くし廊下にしゃがみ込んで泣いた。

・いじめに遭っていたことを他人に言いたくない。
 中学の頃、「名前氏はいじめから逃れるためにこの地域に引っ越してきた」とデマを流されるといういじめに遭ったことがある。それは、こいつはいじめられるようなやつだというキャンペーンとして機能した。
なぜそれがいじめとして機能するかというと、いじめ被害者であることにはスティグマが付与されるからである。
 被害体験を打ち明けて、自分の性格や外見といじめ被害経験を結びつけて、「いかにも被害に遭いそうな特徴をしている」とか、「やられてもこいつなら仕方がない」とか思われるのが怖い。
 被害妄想ではなく、いじめ被害者につきまとう負のイメージがある以上、二次被害にも遭いやすいと感じる。

・昔のことを蒸し返すな、なども言われてしんどい言葉の一つである。人間は自分の過去の歴史という土台を持ってそこにいるのに、もっと未来の話をしようなどと言われるのは現実を無視することに他ならない。

いじめのはなし メモ2

・その水に馴染めない魚だけがその水について考え続ける、これは頭木弘樹氏の言葉、その通り、私は17年ずっと中学についてぐるぐる考え続けている
・中学生が髪を染めてはいけない理由がわからない。髪にワックスをつけてはいけない理由もわからない。スカートを短くしてはいけない理由もわからない。何も知らされはしない。考えてはいけない。外があると思ってはいけない。校則を破るなと教師が言うから、従う。以上。
 でも校則を破りすぎない程度に適度に破っていないと真面目すぎるという理由でいじめの標的になったりする。

 教師が言うとおりに校則を守っていじめられても間違いなく教師は助けに来ない。また、地味なやつがスカートを短くすることでもいじめの標的になったりする。

 矛盾するルールとルールの中でうまく自分はこれくらいのポジションにいると把握して吊し上げられないような整容と着こなしをした者だけが生き延びるルール。

 でも別のルールに引っ掛かったら結局吊し上げられるかもしれない。いじめで精神を壊されて不登校行きかもしれない。
 加害者が不登校の生徒と鬱の教員を自分が何人作ったかで競っていることを知って、これは遊びなんだなとはっきりわかったということがあった。
でも、被害者は心理検査を受けさせられクソの役にも立たない守秘義務違反のカウンセリングを強制的に受けさせられた挙句、自分の何が悪かったか、なぜ自分は集団に馴染めないのか考えよと言われる。

 

2026/08/04(火)やりすぎ

 一言でいうと「バカが考えたトライアスロン」みたいな1日を送ってしまった。
1カ月ほど続いた鬱状態が終わって、涼しくて、楽しくて、はしゃぎまくり、予定詰め込みまくり、反省。
こんな生活をしているから、だんだん上がって上がって、ハイ鬱ーー!!の躁鬱ジェットコースターになるのかも。早く落ち着きたい。少しずつ落ち着いてきてるけど、もう少し。

♪今日やったこと♪
 
・10時ごろ
訪問看護の人に来てもらった。
昼頃
洗濯、皿洗い、バジルに水をあげるなど、家事。
・2時ごろ
 プールへ、疲れすぎて他の活動に悪影響を与えないように、600メートルまでと決めてクロールで泳いで、ダウンで100メートルくらい水中を歩いた。水をかいている!という感じが気持ちいい。
 スマートウォッチで時間を測り、ちょうど30分で切り上げて水着着たままのびしょ濡れ状態で、上に服を着て自販機でトマトジュースを飲んで、うっかり成分表示を見てしまい、カロリーが意外と高いことに気づいた。クロール15分くらいのカロリーはチャラだ…。プールで冷えたトマトジュースなんて売ってたら買っちゃうよー、ダイエットしにきてるのにマッチポンプだよー、と思いながらチャリで家へ。
・2時40分
帰宅、雑シャワー、雑着替え、日焼け止めだけがっつり塗って、雑化粧。
・3時
 チャリでしまむらへ向かい、ダッシュでしまパト。シリコンでできた氷嚢(1200円!!)ロフトで3700円で同じのを夫用に買ってしまったよ!しまむら安い!!と思いながら購入、あとハンガーが20本で490円だったのですかさず購入。ハンガーってなんで買っても買っても無くなるんだ。ヘアゴムの束も190円で購入、最近輪ゴムで髪を結んで「家庭的な女がタイプの俺、一目惚れ」と湘南乃風の純恋歌の一節を歌っていたら、夫に「それはちょっと違うだろう」と言われた。うるせえ。
 最後に通販で買ったクラロリくるみのクロシェ編みカーディガンを受け取った。家まで送ってもらうと送料500円なのだが、それを無料にするために真夏に二キロの道のりをチャリ漕ぐのはどうなんだろうと考えてしまった。
・4時
歯医者、手鏡を見て歯を磨いているのが功を奏し、結構キレイにケアできていると褒められた。
・4時半、昼ごはんを食べていなかったので、産直でパンと半額の焼き芋を買う。焼き芋は産直のがどこよりも何よりも一番美味い。夏は売れ残っているので冷蔵庫で冷やして食べる。
・5時
帰宅、精魂尽き果ててパン食う

 

 夕食は夫が豚肉とキャベツのエスニック蒸し(長谷川あかり、ワンパターン献立と言うレシピ本より)を作って冷凍ご飯レンチンして出してくれた。その隙にバナナを食ったり…ぼーっとして何故か一部皮ごと食べてしまった。ゴミをまとめたり…机をキレイに拭いたり、した。f:id:soratonamae:20260804224146j:image

文章に中身がない…。そして今から資源ごみを出しに行き、今日のトライアスロンは終わりです。寝ます。

2026/08/02(日)生活だけやってると生活が守れない

 

 熊本の震災が今の政権のもとで起きたことで、被災した人たちがすごく困ることがもうわかりきっているから気持ちが暗澹とする。
 少額だけど今朝PayPayでNPOに寄付して、あとは避難所エアコンないし雑魚寝だし……という状況をデモだったり官邸へのメールだったりで抗議していきたいけれど、気候が暑すぎておかしいのにエアコン届かない、とか,過去の震災でのヘイトスピーチや避難所の性暴力の例から何も進展がない、みたいなことがまた起きてたり、起きそうだったりするのがとても怖い。
 ずっとテレビやSNSにかじりつきで震災の話題だけ見ていると、きっと力を出さないといけないいざという時に踏ん張れないので(えいやっと寄付するとか政権に抗議するとか)あえて普段通り、しょうもない冗談を言ったり、美味しいものを食べることも意識しようと思う。
 何事もなく呑気に暮らすことへの罪悪感みたいなものを感じて、苦しさや悲しみを共有ことで、少しでも被災した人のそばにあろうとする感情が私にもあり、他の人からもそう言った感情が発せられているのを感じることがある。
 半分の頭ではそう言った心理は人間という生き物の数少ない優しさだと感じるけれど、もう半分ではちょっと危ういなと思う。だって日常が不謹慎とされてしまったらみんな元気なくならないか?
 とくにSNSからちょっとそういう空気を感じるので、日常での何気ない会話の断片とか料理画像などを上げている。
 あとは私以外の精神疾患の人は過剰にニュースを浴びずに自分のペースで暮らせているのだろうか。
 私は不安が増して頓服を飲む頻度が上がったよ、多かれ少なかれみんなそんなではないだろうか、これ読んでくれてる方も無理しないでね。
 とはいえあんまり読んでる方が多いブログでもないのだが、もしご自身や大切な方が被災してる方が読んでくれてる方にいたら、言えることは少ないけれど、休める時は休んで欲しいということと、少しでも助けになりたいから、こちらもまた寄付なりデモなり、やることやるのと、報道が減っても忘れないからということを言いたい。
 
♪今日やったこと♪

1.夫と電車に乗って不動産屋へ。今月念願の猫飼育可物件に引っ越す、と言っても横に50メートルくらい移動するだけの町内引越し。
 以前提出した書類に不備がありまくり、2回くる羽目に。
 印鑑押すとことか、出すものが多すぎる。鬼。猫関係の書類も用意するものがたくさん。去勢証明とか体重はまだわかる、でも体長とか測れなくね?猫ってドジョウみたいにニョロニョロするのに、てかほぼ液体なのに、ということで適当に書いた。
 カウンターで接客受けるのは緊張するから、キッズスペースでそこにあったくまのデケーぬいぐるみ🧸を抱っこしながらもっとフランクに適当な感じで手続きを進めてくれませんか。そうですか。無理ですか。

2.喫茶店へ
 葡萄果汁入りシロップのかき氷アイスクリーム乗せ、アイスコーヒーを頼んだ。アイスコーヒーが苦すぎて、苦肉の策でかき氷の上のアイスを全部アイスコーヒーにぶち込んだ。やることが雑。かき氷もコーヒーに入った。
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 夫にEXILEに生まれかわったらダンスとボーカルどっちやりたい?ってきいたら、EXILEとして活動したくないからEXILEを辞めると言われた。
 大谷翔平だったら何に金使う?と聞いたらとりあえず野球をやめると言われた。
 意思を持たないモノに生まれ変わるなら何がいいか,私はエアコンキンキンの喫茶店のコップがいいと言ったら、夫は仏像になって拝まれたいと言ったあと、そんな器ないか…と真面目に呟き、考えていた。結局はエアコンキンキンの博物館の仏像と言っていた。
 向かい側の中年グループが、太っただの痩せただのについてずっと話していて、そんな会話するくらいなら一生来世でオレンジレンジに生まれ変わったらラップと楽器と歌どれがやりたい?と聞いてオレンジレンジ好きじゃないから脱退するとか言われたいよ。
 ちなみに後半は私がまるで酔っ払いであるかの如く来世〇〇だったらどうする?〇〇のメンバーだったら何やりたい?の質問を繰り返したので、流石の夫もシカト気味にスマホを見ながら回答していた。仏像志願なのにやや心が狭い。

3.気が滅入ってきたので、淡々と手を動かした

 暑かったから疲れたのか、へばった。メンタルが不安定になったので少し休んだ後、頓服を飲んだ。
 大森靖子のサブスクにない初期を聴きながら、引っ越しのためにクローゼットの冬服を巨大な段ボールに詰めたが、めちゃくちゃ邪魔になってしまい、もっとギリギリになってからでよかったと後悔した。
 その後、皿を洗い、ナスを蒸して、薬味を刻んで調味料を混ぜて冷蔵庫に入れたり、レンジで蒸し鶏を作ったり、ベランダで育てているバジルを収穫して、ジェノベーゼソースを作ったり、とうもろこしを100円で2本買えたから贅沢に1人一本使ったパスタをつくったり、夏の手作業を頑張った。f:id:soratonamae:20260802230629j:image

4.ブルスカでちょっとポストが多く閲覧された

「学生の頃、警備員の仕事をしていた
災害時の避難誘導についてはマニュアルのビデオを見せられただけ
最低賃金の時給制で、こんな杜撰な教育体制で、絶対避難誘導なんかしてやるものか馬鹿がと思って真っ先に走って逃げよって決めてた

最賃非正規に毛が生えたものと思われるテナントの従業員でも責任感ある人が多くて、そういう人が今度の震災で亡くなっていて、言葉もない
現場に甘えすぎ」

「工事現場で依頼主に業務以上のユンボの誘導などを突然求められてなんでできないのかと怒られた末、なぜか休日遊びに行こうとナンパされて、会社にパワハラセクハラがある現場なので行きたくないですと伝えたら、男と女は社会の見え方が違うんだから、今回は外してあげるけどそう言うことも考慮してな、とか二次加害的なことを言われて、人格や人権が尊重されたと微塵も思えなくて、給料安いし仕事大変で遠くに派遣されて、がんばろーなんて思えないよね」

「一度も正社員になったことないけど会社が健康や命の犠牲まで求めてくると感じたことは何度もある」

というポストが三つ繋がったツリー。私は自分が大事にされていないのに、職場なんて大事にできないよ。私は私なりの真面目さでもって生きているけど、正直日本のほとんどの人が真面目だと思う人物像からは大きくかけ離れているだろうと思う。

 喫茶店から帰る途中、夫とスーパーとドラッグストアに寄って、クイックルワイパーのシートとか、ごま油とか野菜とかうどんとかを買って帰ったのだが、夫がふと「スーパーとかに行って生活に必要なものを買って鞄から出してちゃんと冷蔵庫に入れてると、生活していると実感できてなんかいいな」というようなことを言っていた。
 10年前は生活破綻者志願みたいな部屋で一人暮らししていた私もだんだんとオレンジページとか読むようになり、夫と同じ気持ちに傾いてきた。
 そこで、「私たちに病気がなくて、働いてて、ニュース見ないでデモも行かずに本を読まずに暮らしのことだけ考えていたら、酷薄かもはしれないけど、生きてることはもっと苦しくなくて楽しいかな」と聞いたら、「子供とか作ってママ友と受験でどっちがいい大学に入れられたかとか、車のランクとかで他人と競ったりとかしてつらいよ」と答えていた。別世界すぎるけど、確かに自分の生活から外出られないのも辛いよ。
 生活だけやってたい。ダーウィンが来た見て、ヒゲ爺のダジャレ需要どこ?とかだけ言ってたい。でもそれでは民主主義は守られないんだよな。
 生活だけでもおぼつかないのに、生活だけやってると生活が守れない。

 難しいバランスをとっていく必要がある。

2026/07/13 日記(暑すぎてパー)

 今日はメンクリに行くついでに産直に寄り、2キロ=16コ入り350円で玉ねぎを、200円で小玉スイカを買った。野菜王国愛知県とはいえど、いくらなんでも安くないか!前回来た時はとうもろこしが3本で100円だった。転売ヤーが生まれそうなレベルで果物や野菜が安い!

 ブルーベリーがサッカー台(袋に商品詰めるとこ)に忘れられており、0.00000001秒ほど、美味しそうだからパクろうかという超短絡的な考えが脳裏をかすめたが、店の人を呼んで、一切触らずにブルーベリーの忘れものですと伝えることができた。無事、本能に打ち勝った。

 ただ、自転車に買ったものを入れた鞄を乗せたらバランスを崩して倒してしまい、小玉スイカがパカーン!と割れてぐじゅぐじゅになり、クロミちゃんのエコバッグがスイカまみれに…

  そしてまだ時間があったので行きつけの喫茶店で待機。スイカでグジュグジュのバッグを持って。アイスコーヒーとピーナッツとホットケーキで500円なのは異常。

 メンクリではまずカウンセリングを受けた。

 2キロ=16個くらいのネットに入った玉ねぎを置くところがなかったので抱きながら話したらとても落ち着いた。適度な重さ。昔から作家になりたかったけど肝心の文章がおぼつかなくてワロタ&オワタ、夫とは仲良くやってる、猫はげんきなどと要領を得ない話をし、また次回。

 診察では無事エビリファイを増量してもらえて安心した。あれがないとクソ通り越してハナクソ並にどうでもいいことで落ち込むんだよー。薬の名前の由来はアビリティをファイするからエビリファイだそうです。適当な説明すぎる。

 

 帰宅して、ノンアルレモン酎ハイキッチンドランカーになりながら、鶏胸肉を茹でて、茹で汁と肉と玉ねぎでスープを作った。

 パスタのためにお湯沸かしたのに在庫がなかったので夫に買ってきてと頼んだ。トルコ産、1キロで178円。とうもろこしのパスタを作り、落とした小玉スイカも夫と半分ずつ食べた。

テレビで歌番組がやっており、顔しか取り柄がないけど可愛いのも取り柄として認めろみたいな歌詞の曲が流れてきて、卑屈なのか謎の自信に満ちているのかわからないにも程があった。

私がババアになって福祉が奇跡的に生きててデイケアでレクリエーションとかしないといけなくなったら、あんな曲じゃなくて村下孝蔵の初恋とか流してほしいよ。真面目に作ってるじゃん。初恋に乗せて何の動作をするのか謎すぎるけど。

 

 

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めし

2026/07/13(月)夏だ!鬱だ!メンクリだ!

 

 病んでいる。気持ちが全く健やかでない。具体的な悩みはないはずなのに、漠然とした不安を漠然とした不安のまま持っておけなくて、具体的な将来のことやら仕事のことやら持病が治らんことやらについてもついつい考えてしまう。今考えても無駄なのに。
 頼みの夫は仕事だからいない。仕方がないので魔除け的な意味を込めて夫に買ってもらったシャツを着て、焼きそばを食べながら夫の写真を眺めた。BGMはフィッシュマンズ。全然慰めてこないどころか下手するとリスナーより病んでるからこそこんな時にはもってこい。
 写真には、カバンの中に無理やり入って体育座りしてニコニコしている夫。お花や、キツネや、バーコード頭の妖精の顔出しパネルに入ってる夫。私は顔出しパネルを人にやってもらうのが好きなのだ。
 公園でクルクル回りながらシャボン玉を大量に作っている魔法少女のような夫。セイコーマートのTシャツを着ている夫。リンツのチョコレートを両目に当てて攻殻機動隊のバトーの真似をしている夫。いいね。どれもこれもプリティでキュートだね。ちょっとセロトニンが出た気がする。
 今日は暑いので外に出たくなかったが、暑いからこそ洗濯物乾く!と思い直し、洗濯機を2周回して干した。
 また、バジルに水をやりに行くと、ぐったりしていた。昨日の夜も水やっとけばよかった。虫食いもある。かわいそうに。
 で、何で病んでるのか考えてみるに、コロナに感染したあと体力が落ちてすぐ疲れるのが一つ、エビリファイの減量で脳汁がちゃんと出ないのが一つ、やりたいこと(仕事、書き物、読書)があっても、能力のなさと持病のせいでちゃんとできてないのが一つというところか。
 カウンセリングで話してみよう。診察でも事情話してエビリファイをもとにもどしてもらおう。

 図書館で読めない15冊とかの量の本を借りてしまって結局一冊二冊読んで返す、みたいなことがよく起こるのだが、私には自分の状況や能力、キャパシティなどを全く考慮できない欲深さがあるのかもしれない。ちょっと欲しいものがある、程度の欲望は人を生かすものだからなくなったら困るのだけれど、健康で当たり前、正社員で当たり前、美人で当たり前、みたいなことをいつも思ってるからぜーんぜんそうじゃない自分を見てやたらテンション下がっちゃうのかも。

 進歩するための努力とか、這い上がるための気合いとか、そういうものって絶えざる自己否定の裏返しな気がして、過去に摂食障害やったりどうも頑張りすぎないと生きてる価値がないと思いがちな自分の性質と合体すると死、まで行かなくても心身の不調を招く危険なブツだと思う。

 私は長女。真面目な長女。多分自分比でタラタラやってるくらいでちょうどいいのだ。